ギョベクリ・テペ
ギョベクリ・テペ は、トルコ共和国のアナトリア南東部、シャンルウルファ(旧名・通称ウルファ、古代名エデッサ)の北東12km郊外の丘の上にある新石器時代の遺跡。
写真: Teomancimit · CC BY-SA 3.0
- 国
- トルコ
- 地域
- Şanlıurfa Province
- 文明
- Pre-Pottery Neolithic
- 時代
- 10th–9th millennia BCE
- ユネスコ
- 世界遺産 ↗
時代の流れ
歴史
ギョベクリ・テペ は、トルコ共和国のアナトリア南東部、シャンルウルファ(旧名・通称ウルファ、古代名エデッサ)の北東12km郊外の丘の上にある新石器時代の遺跡。遺丘の高さは15メートル、直径はおよそ300メートルに及ぶ。地名は「太鼓腹の丘」の意。標高はおよそ760メートル。
1996年からドイツの考古学チームにより発掘調査が行われ、チームの指揮を執ったクラウス・シュミットが他界する2014年まで続いた。近辺では、定住していたとみられる住居跡や、ガゼルを追い込んで捕えていたとみられる巨大な罠の跡も発見されている。
発見以前の常識であった、大文明は農耕が可能にしたとする常識を覆す、狩猟採集民によって築かれた文明であり、それまで最古とされたメソポタミア文明を5千年程度も遡る。ギョベクリ・テペの遺丘に残された構造物は非常に古く、紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられた。
祭祀に用いられたと考えられるこれらの構造物には、二段階の発達が見られる。第一段階(先土器新石器A)では、巨大な丁字型の石柱がいくつも円を描くように並べられている。物理探査(リモートセンシング)により石柱の総数は200本以上、それらの描き出す円が20確認されている。2025年現在、8つの遺跡が発掘されている。中心の石柱は5.5メートル、重さは推計15トン。
それらが基盤岩に穿たれた穴にはめ込まれている。第二段階(先土器新石器B)では石柱は小さくなり、磨かれた石灰の床を持つ長方形の部屋に立てられた。遺丘の隣に位置し発掘調査が待たれている構造物は、1万4000年から1万5000年前のものであることがトポグラフィックスキャン(地形・表面形状スキャン)によって明らかにされた。これはともすれば、更新世を1000年遡行することになる。
先土器新石器B期が終わると、遺跡は打ち捨てられた。比較的新しい構造物にはギリシャ・ローマ時代のものも見られる。
Wikipedia(CC BY-SA 4.0)より。
見どころ
- Enclosure D
- T-shaped pillars
- Animal reliefs
訪問の前に
- 開館時間とチケット規則は訪問直前に確認しましょう。季節で変わります。
- 暑さ対策を。多くの遺跡は日陰が少ないので、早朝か夕方がおすすめです。
- 柵を守りましょう。壊れやすい遺構は次の訪問者のために保護されています。
ギョベクリ・テペでの発見
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